ジュリオ・ホバス プロフィール
ジュリオ・ホバス(JULIU HORVATH)生年不詳
優れたバレエダンサーとしての経歴を持ち、ルーマニアからアメリカ合衆国に亡命。ダンサーとしての怪我・故障の克服、身体能力の向上などからヨガなどを追求し、1980年代NYセントラルパークで “ダンサーのためのヨガ” としてジャイロキネシスを指導し始めました。
Juliu Horvath, a Hungarian, was born and raised in Romania. However, he considers himself to be a "universal being". His father, Juliu Sr. who haspassed on, was a tailor and his mother who celebrated her 90th birthday in December 2000 is a housewife.
ジュリオ・ホバスはハンガリー人の両親(父は仕立て屋、母は主婦)のもとルーマニアで生まれています。
少年期に水泳、体操、ボート競技などのあらゆるスポーツを体験。19歳の時に古典舞踊に興味を持ち、20歳でルーマニア国立歌劇場のプリンシパル・ダンサーとして活躍。
1970年にイタリアのツアー中に離脱し難民キャンプで6ヶ月を過ごす。
その後アメリカ合衆国に政治亡命をしてニューヨークへと移住した。移住後は生活のためにさまざまなことを体験、家の塗装からセントラルパークの車上ダンスなどをしながら、市民バレエのオーディションを受けダンサーとしても活動。その間にニューヨーク・シティ・オペラの関係者の目に留まり職を得る。
同団のツアーでは世界的エトワールのマルゴ・フォンティーン、ジャック・アンボワーズ、メリサ・ハイデンらと共演。
その後、ラジオシティ・ミュージックホールにゲスト・ダンサーとして出演、ヒューストン・バレエのプリンシパルのポジションを得る。
しかし アキレス腱を断裂して負傷、ダンサーとしての経歴が突然に停止。
その後彼はすでにとりかかっていたヨガの鍛錬に没頭する。
1977年にヴァージン諸島のセント・トーマスに移住、山岳地帯に掘っ立て小屋を建て、ヨガの修行に専念する。
ヨガの修行中に身体の深層の機能に着目し、新しいヨガを組成する、いわゆる「ダンサーのためのヨガ」である。
その「ダンサーのためのヨガ」をより深くより高いレベルまでに発展させたのが今日の「ジャイロキネシス」である。
1980年代にニューヨークに戻り彼のトレーニング・メソッドを「ステップス・オン・ブロードウェイ」やセントラル・パークで教え始める。
彼の活動は拡大し、WHITE CLOUD STUDIOを開設するまでになった。
そのWHITE CLOUD? STUDIO、 ホワイトクラウドスタジオ (WHITE CLOUD? TOKYOがし、で自らハンドメイドしたマシーンとメソッドでジャイロトニックを指導。ダンサーをはじめ、パフォーマー・アスリート・あらゆる人々の身体機能向上やリハビリテーションに貢献してきている。
ジュリオはダンサーのピルエット(つま先旋回)の向上のための、トレーニングマシーンの開発が夢であった。彼の創造のエネルギーはこの夢をジャイロトニック・エクスパンション・システムの完成にまで発展させた。
今日それはすべての年齢、全ての生命の歩みに恩恵をもたらしている。
ジャイロトニック・エクスパンション・システムは、強く柔軟な身体、筋肉の整合を求める人に請われ、世界中のリハビリ施設、ダンススタジオ、スポーツ・トレーニング、フィットネス・センター等で利用することができる。
現在もジュリオ・ホバスは世界各地で、ジャイロトニック指導者の教育、リハビリテーションのためのワークショップなどを開催し、常に自身の理論・実績を進化させ広め続けています。
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